コロナ禍における Stand Alone Complex
Posted: 4 years ago

2020年5月26日、緊急事態宣言が解除された。 しかし、未だ県を越えての移動は、自粛を求められている。 自粛が要請された時、すでに、全国で同時多発的に他県ナンバー狩りが行われていた。 そして今、また同じことが繰り返されている。

他県ナンバー狩りとして、他県ナンバーを掲示した自動車に対し、自粛を求める文書を置くケースや、 車体に傷をつける、石を投げつけるといった行為も報告されている。 また、岡山県が実施した「県境に位置するパーキングエリアにて、来県者に対し検温を行う」といったものも、 広義においては他県ナンバー狩りと言えるだろう。

こういった行為は、誰か指導者がいるのだろうか。または、その行為に対価を払う者がいるのだろうか。 局所的には指導的な立場をとる人物がいてもおかしくはない。 しかし後者については、他県ナンバー狩りの結果として得られる利益、つまり感染の抑止が、 対価を払って余りあるほどの利益を直接生むとは考えにくいことから否定できる。 先に挙げた岡山県の事例においては、検温の実施に対する抗議や脅迫があったことを理由に、直後に中止が発表されている。 これは、感染の抑止という不確実な利益よりも、安全を確保するために払うコストの方が多いと判断されたためと考えられる。 つまり、それは充分な価値を産まなかったのだ。

では、他県ナンバー狩りは何故発生し、何故多数の同様な事例を生むのだろうか。

我々ホモサピエンスは、神話を信じることによって団結し、同じ目的を持ち行動してきた。 これが良い結果をもたらしたのが、科学技術の発展や平和の維持などであり、 また別の結果をもたらしたのが、他県ナンバー狩りではないだろうか。

越境してはならぬという教えと、それに背く異教徒。そんな異教徒が、自分たちの陣地に攻め込んできているのだ。 狂信者は、これを排除せずにいられないのだろう。そして、排除することが正義と考えているのだろう。

しかし、異教徒を排除せよという教えはなかったはずだ。

じゃぁなぜか。教えはないが、規則があるのだ。 罪を犯した者は投獄され、政界人なら政界を追われ、社会から排除される。 これは多くの人が認識している現象である。 コロナ禍における越境は、罪とまではいかなくとも、正しくない行いだ。 だから排除されなければならない。しかし、誰も排除しない。では私が排除しなけれならない。 そういった思考により、他県ナンバー狩りが行われるのだろう。

このような考え、行動は、コロナ禍における Stand Alone Complex と言えるのではないだろうか。

それ自体は忌むべき現象ではない。しかし、場合によっては、他県ナンバー狩りや、 それ以上の犯罪に発展する可能性を孕んでいる。

我々は、今一度自分の意思を再確認するべきだろう。無意識に他者と同じ行動をとっていることはないだろうか。 全世界がつながってしまったこの時代では、自分の意思を持って行動し、他人との差別化を行わない限り、大衆の中に埋もれてしまう。 さらには、深く考えないまま運動に参加し、結果として自分の首を絞める恐れもある。 その呟きが世論として誤解され、結果として訳がわからない世の中になってしまうのだ。

我々は、もっとオリジナリティを持って行動すべきだ。 他人と同じことをしても、オリジナルが存在する限り、オリジナルにはなれないし、オリジナルには勝てない。きっと何者にもなれない。 自分とは何かを見つめ直し、自分がどういう意思でどう行動し、他者とどう差別化できるのか、自分が他者の模倣ではなく、今ここに確かに自分として存在することを確信しなければならない。